503:名もなき人 12/10/25 19:08 [dhcp03-142.ctb.ne.jp]

>>497

なんか、反感を買ってしまったようですが、
この曲が言おうとしていることに、少しでも近づきたくて
解釈を狭めるような言い方をしてすみませんでした。

いろんな捉え方があって、それが間違いだ、とまでは言いませんが
常套句ってどう読むの? とかいう世代に出くわすと、「・・・」と
閉口してしまう自分がいて。
もしかして、ここにいる人たちはやはり10〜20代が多いのでは、
とか・・・。これってもはや世代の違い?みたいな気さえしてきて。
(ちなみに私は30代です)

曲の解釈自体は、各人の自由なものですが、「常套句」という言葉の
持つニュアンス自体は、出来るだけ正確な共通理解があって当然のような
気がして。
ちなみに、なぜ「君に逢いたい」は通常 常套句とは言わないと
判断したか、ですが それは、その人の“想い”だからです。

逢いたい人を目の前にして、「君に逢いたい」とは言わないですよね。
でも、「愛しています」「君は美しい」 これは、直接本人に
伝える“セリフ”です。

この歌はシンプルなラブソングで、(愛の告白の)常套句、と
理解しているので、
昔から使い古されてきたセリフ、として自然と当てはまるのは
上記の2つかな、と。

そしてこのセリフには、受け取った本人に「ほんとかな?」と
思わせるような、饒舌さの混じった響きが伴っています。
君に逢いたい、には饒舌さはなく、その人の本心であり心の叫びです。
心の叫びに、常套句 という言葉を付け加える必要はありません。

一方、愛しています、という直球勝負の言葉も、その人のシンプルな
本心だとしても、信用してもらえるかどうか、危うい表現となります。
だから、そのストレートすぎる表現に滑稽さを交えて 常套句 としなければ
ならない理由が生まれるのだと思います。

これは、男女間のラブソングだからこその、繊細なやりとりや駆け引きの必要性
ゆえだからと感じます。 通常、親子や同性に同じ言葉を投げかけるのなら、
それは「愛の言葉」で十分ではないでしょうか。
手垢のついた愛のことば = 全て常套句 としてしまっては
せっかくの日本語の繊細な奥深さが半減してしまう気がしたので
敢えてこだわってみました。

長文にお付き合い頂きありがとうございました。